大正時代に世界へ挑んだ先駆者たち
日本人が国際舞台で最初に名を残したのは、大正時代のことです。中心にいたのが熊谷一弥と清水善造の2人でした。
熊谷一弥は1920年のアントワープ・オリンピックに出場し、男子シングルスで銀メダルを獲得しました。柏尾誠一郎と組んだダブルスでも銀メダルを取っています。これは日本がオリンピックで手にした最初のメダルとして知られています。
同じ1920年、清水善造はウィンブルドンの「オールカマーズ決勝」に進みました。当時は挑戦者を決める大会を勝ち抜いた選手が、前年の王者と戦う仕組みでした。清水はここでアメリカのビル・チルデンに敗れています。翌1921年には熊谷と清水を中心とする日本代表が、国別対抗戦のデビスカップで決勝にあたるチャレンジラウンドに進みました。アメリカには敗れたものの、日本のデビスカップ史上最高の成績です。デビスカップは国ごとの代表チームが戦う男子の団体戦で、100年以上の歴史があります。
女子の扉を開いた沢松和子と伊達公子
1975年7月、沢松和子はアン清村と組んでウィンブルドンの女子ダブルスで優勝しました。日本人女性の名前が初めてウィンブルドンの優勝トロフィーに刻まれた出来事です。
1990年代には伊達公子が世界のトップに迫りました。1994年の全豪、1995年の全仏、1996年のウィンブルドンで四大大会のベスト4に進んでいます。1995年11月には世界ランキング4位に到達しました。1996年にいったん引退しましたが、2008年に現役へ復帰しました。2009年には韓国のソウルで13年ぶりのツアー優勝を果たし、WTAツアーの通算優勝は8回になりました。2017年に2度目の引退を発表するまで、長くコートに立ち続けています。
男子の壁を破った松岡修造
日本の男子は長いあいだ四大大会で上位に進めずにいました。その壁を破ったのが松岡修造です。1995年のウィンブルドンで、日本の男子として62年ぶりに四大大会のベスト8(準々決勝)へ進みました。それまで四大大会では、2回戦を突破したことがありませんでした。
準々決勝では当時の王者ピート・サンプラスと対戦し、第1セットを奪う健闘を見せています。プロ10年目、27歳でつかんだ結果でした。
錦織圭が示した世界トップへの道
錦織圭は、日本の男子がトップ選手と互角に戦えることを示した選手です。2014年の全米オープンでは準決勝で世界1位のノバク・ジョコビッチを破り、アジア出身の男子として初めて四大大会の決勝に進みました。決勝ではマリン・チリッチに敗れ、準優勝でした。
2015年3月には世界ランキング4位に上がっています。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは3位決定戦でラファエル・ナダルを破り、銅メダルを獲得しました。テニスの男子シングルスで日本選手がメダルを取ったのは、熊谷一弥以来96年ぶりです。ATPツアーでは国内の東京の大会で2度優勝するなど通算12勝を挙げ、2026年4月30日に今季限りでの現役引退を発表しました。
大坂なおみが届いた四大大会の頂点
四大大会のシングルスで日本人として初めて優勝したのが大坂なおみです。力強いサーブと、ベースラインから打ち込むフォアハンドが持ち味です。2018年の全米オープンで頂点に立ち、続く2019年の全豪オープンも制しました。
この全豪優勝で、2019年1月28日付の女子世界ランキングで1位になりました。ATP・WTAのシングルス世界1位は、日本人では男女を通じて初めてです。その後も2020年の全米、2021年の全豪で優勝し、四大大会のシングルス優勝は4回になりました。2026年はウィンブルドンの4回戦で世界1位のアリーナ・サバレンカを破り、自身初のウィンブルドン8強に進んでいます。
2026年のいま活躍する日本人選手
2026年10月時点で、大坂なおみは女子の世界ランキングで10位台後半につけ、ツアーで戦い続けています。錦織圭は10月1日、東京のジャパンオープン1回戦を最後に現役生活を終えました。
車いすテニスでは小田凱人が世界の先頭を走っています。2024年のパリ・パラリンピックで男子シングルスの金メダルを獲得しました。2026年は1月の全豪を制し、四大大会の4タイトルを同時に持つ男子として史上最年少になりました。その後も全仏、ウィンブルドンを制し、9月の全米オープンでも決勝に進みました。決勝ではアルフィー・ヒューエットに敗れ、同じ年に四大大会をすべて制する年間グランドスラムには届きませんでした。
まとめ
日本のテニスは、熊谷一弥と清水善造が100年以上前に世界へ挑んだところから始まりました。沢松和子と伊達公子が女子の道を開き、松岡修造と錦織圭が男子の壁を一つずつ破ってきました。大坂なおみが四大大会を制し、小田凱人が車いすテニスで世界の頂点に立つ今、次の世代がどこまで進むのか注目です。
